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コウノトリ

翼を広げると約2メートル。頭上を飛んでいくと思わず身をすくめてしまうほど大きく迫力を感じます。一度は絶滅してしまったコウノトリが今また悠然と空を飛んでいる豊岡盆地。長い年月をかけた野生復帰の取り組みが実を結び、日本各地や韓国にまで飛来する姿が確認され、繁殖地も広がっていますが、その存在がすっかり人々の暮らしに馴染んでいるのは今のところ、ここ豊岡だけです。

どんな鳥?

コウノトリ は世界でも約3,000羽しかいない希少な鳥。日本では特別天然記念物に指定されています。白い体でツルやサギに似ていますが、風切羽とくちばしは黒く、目の周りとくちばしの付け根、足が赤いのが特徴。おもに川や田んぼに住むカエルやバッタ、ドジョウやフナ、ヘビなどを食べて生きています。
「赤ちゃんを運んでくる」という伝説は、元々コウノトリによく似たヨーロッパのシュバシコウという鳥にまつわるものですが、幸せの象徴として様々なシーンに登場します。一旦ペアになると一生添い遂げるという仲の良さ、オスとメスが交替で卵をあたため子育てをする姿が微笑ましく映るせいかもしれません。ただ、とってもデリケートで警戒心が強く、命がけで縄張りを争う激しい一面も。

明治時代、出石の鶴山に営巣したコウノトリ 。戦時下では勝利の瑞鳥と持てはやされ、日露戦争後は1日2000人もの見物客が鶴山を訪れたことも。

絶滅したわけ

そもそも何故日本のコウノトリは絶滅してしまったのでしょう。江戸時代までコウノトリは日本各地にいました。天保年間(1830〜1843)、桜尾山(現在の豊岡市出石町)にたくさん巣がつくられたのを吉兆と喜んだ出石藩主は「鶴山」と名付けて禁猟区にしたという記録があります。
激減したのは明治以降、人間による乱獲が原因でした。鶴山に棲むものに限って保護の対象となった明治25年(1892)には、すでに全国で珍しい存在となっていました。
第二次世界大戦中、営巣に適した松が大量に伐採されたことや、戦後に農薬の使用でエサがなくなったことなどを要因に、昭和40年(1965)にはわずか12羽だけに。兵庫県では人工飼育に踏み切りますが繁殖は叶わず、昭和46年(1971)、豊岡で最後の1羽が保護され、日本の空から姿を消してしまいました。

豊岡市ではコウノトリのエサ場を確保する「コウノトリ育む農法」に取り組む。

コウノトリがいる風景

人工飼育はなかなか繁殖に至らず苦難の連続でしたが、25年目にしてようやく成功。旧ソ連のハバロフスクから贈られた幼鳥6羽のうち2羽がペアとなり、初めてヒナがかえりました。以後毎年ヒナが誕生し、平成17年(2005)、野外への放鳥を開始。順調に数を増やし現在の光景につながっています。
市内の田んぼや川辺、時には電柱の上などにもその姿を見ることができます。今や市民にとって当たり前のように存在するコウノトリですが、野生復帰は現在進行形。“共生できる環境づくり”に町ぐるみで取り組んでいます。

クラッタリングをするコウノトリ

コウノトリの恩返し?

弥生時代の田んぼの遺跡から足跡が発見されており、古くから日本人にとって身近な存在だったコウノトリ。ただし、かつては“ツル”とひとくくりにされていたよう。花札や掛け軸など、松とセットで描かれることが多いツルですが、実は枝に止まることはできません。木の上に巣を作るコウノトリと混同したのだろうと考えられています。
また、昔話「ツルの恩返し」が実はコウノトリだったのではという説があります。コウノトリは成長すると鳴くことができません。かわりにカタカタとくちばしを打ち鳴らすクラッタリングと呼ばれる方法でコミュケーションをとります。この音が機織りの音に似ているのだとか。
繁殖期にはクラッタリングの音が豊岡盆地に響き渡ります。

ずっと気になる、生活に欠かせない存在

コウノトリの観察と記録を続ける主婦お二人にその魅力を聞きました。

古田恵子さん(右)宮村さち子さん(左)
20代で豊岡市に嫁いできた滋賀県出身の古田さんと佐賀県出身の宮村さん。兵庫県立コウノトリの郷公園のパークボランティア(※)養成講座で知り合い、その後の活動で親しくなりました。現在はそれぞれ豊岡市内で観察を続け、有志で組織された「コウノトリ目撃網」というネットワークを通じて情報を共有しています。

(※)放鳥したコウノトリの飛翔ルートや行動を市民にモニタリングしてもらう制度。コウノトリの郷公園では平成12年(2000)からパークボランティアの養成を始め、平成17年(2005)の放鳥後から得られたデータをコウノトリの生息環境条件の解明に活用しています。


足環の色で個体を判別。双眼鏡やカメラを使って確認する。見慣れた個体は確認しなくても分かるそう。

気になる“あの子”

「あの子って呼んでしまうんだよね」と話すのは、夫婦で観察を続ける宮村さん。放鳥後に自分が担当した鳥は特に「かわいい」のだそう。うなずく古田さんはコウノトリを通じて知り合った20年来の仲間。古田さんもまた、初めて観察した個体に特別の思いがあります。
2002年8月5日に大陸から飛来した、通称“ハチゴロウ”。3年後に放鳥を控えた豊岡市に野生のコウノトリが住みつくという奇跡のような出来事が起こり、古田さんは迷わず観察メンバーに名乗りをあげました。
行動範囲の広いハチゴロウ。週に2回程、分担して観察を続けるうち、自身の感覚でハチゴロウの居場所を探すようになります。
「今日はこの辺りにいるんじゃないかという予測が的中すると本当にうれしくて」。初めて知る観察の楽しさでした。以来どんどんハマっていき、今では「生活の一部」とまで。
観察に行けない日が続くと「落ち着かない」という二人。ちゃんとエサを食べているか、病気になっていないか、まるで我が子のように心配事がつきません。

3人でつくった絵本「ロクイチのとんだ空」。絵は京都在住の作家・さくらいともかさんに依頼。市内の図書館などにも寄贈されている。

ロクイチのものがたり

2013年、足を骨折したコウノトリが保護されないまま命を落とす事件がありました。個体番号はJ0061、通称ロクイチと呼ばれたこの鳥が日に日に弱っていく姿を古田さんたちは目の当たりにしています。救助されないコウノトリがいる現実に悲しみとやり場のない憤りを覚えました。
古田さんと宮村さんはその現状をたくさんの人に知ってもらおうと、もう一人の仲間と一緒に「コウノトリおっかけたい」と称して絵本製作に取り組みます。何度も推敲を重ね、主人公の女の子を通して人間とコウノトリの関わり方を問いかける内容に仕上げました。タイトルは「ロクイチのとんだ空」。最終的には3人でお金を出し合い赤字覚悟で出版。300冊と少部数ながら2週間足らずで完売し、市民からの反響や手応えもありました。

野生復帰を考える

2021年現在、野外には200羽以上のコウノトリが暮らしていますが、電線や防獣ネットなどでけがをするケースが全国で後を絶ちません。豊岡市では行政とコウノトリの郷公園の職員が連携して救護に当たっていますが、宮村さんは市民としてできることを学ぶ必要があると感じています。ご主人は“もしも”に備え、いつも救援道具を携帯しているそう。
「研究者も市民もいろんな人が関わっている取り組みだからこそ、私たちの目線で考える野生復帰のあり方も知ってほしい」と古田さん。その言葉には、長い間コウノトリを見守り続けて来た自負と使命感があるように感じられました。

電柱の上で巣作りを始めることも。事故への懸念から撤去されます。

一定の距離を保つ「ソーシャルディスタンス」…?!

コウノトリの写真はすべて古田恵子さん提供

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