歴史文化を感じる

世界が注目!コウノトリと暮らす町【コウノトリ】

コウノトリ は世界でも約6,700羽(2019年時点)しかいない希少な鳥で、日本では特別天然記念物に指定されています。
国内では一度絶滅してしまいましたが、豊岡市では長い年月をかけて取り組んだ繁殖、野生復帰計画が実を結び、今では当たり前のように見かける存在になりました。
コウノトリとの共生を目指す町ぐるみの取り組みは世界でも類のない先駆的なもの。今も世界が注目しています。

明治時代、出石の鶴山に営巣したコウノトリ。日露戦争後には勝利の瑞鳥と持てはやされ、1日2000人もの見物客が鶴山を訪れたこともあるという

絶滅したわけ

そもそも何故日本のコウノトリは絶滅してしまったのでしょう。江戸時代までコウノトリは日本各地にいました。天保年間(1830〜1843)、桜尾山(現在の豊岡市出石町)にたくさん巣がつくられたのを吉兆と喜んだ出石藩主は「鶴山」と名付けて禁猟区にしたという記録があります。
激減したのは明治以降、人間による乱獲が原因でした。鶴山に棲むものに限って保護の対象となった明治25年(1892)には、すでに全国で珍しい存在となっていました。
第二次世界大戦中、営巣に適した松が大量に伐採されたことや、戦後に農薬の使用でエサがなくなったことなどを要因に、昭和40年(1965)にはわずか12羽に。兵庫県では人工飼育に踏み切りますが繁殖は叶わず、昭和46年(1971)、豊岡で最後の1羽が保護され、日本の空から姿を消してしまいました。

人工繁殖に成功

繁殖の成功から放鳥までの長い道のり

人工飼育はなかなか繁殖に至らず苦難の連続でしたが、25年目にしてようやく成功。旧ソ連のハバロフスクから贈られた幼鳥6羽のうち2羽がペアとなり、初めてヒナがかえりました。以後毎年ヒナが誕生し、平成17年(2005)、ついに野外への放鳥が行われました。絶滅から34年ぶりのことでした。

世界初となった人里での放鳥
豊岡市ではコウノトリの餌場を確保する「コウノトリ育む農法」に取り組む

棲みたい町ランキング1位?

令和4年(2022)には野外で暮らすコウノトリの数が300羽を超え、その生息地は日本各地へ広がっています。
大食漢のコウノトリが生きていくためには餌場の確保が最重要。コウノトリが棲むということは生きものが豊富にいる証です。豊岡市内には今もたくさんのコウノトリが棲み続け、繁殖数も国内では群を抜いています(2022年は28羽の巣立ちを確認)。もちろん歴史あってのことですが、コウノトリにとって棲みやすい豊かな自然が守られていることは間違いありません。

ボランティアで湿地の草刈り

コウノトリの生息地保全を応援してみる旅

皆さんの旅の目的はなんですか。

最近、旅先でボランティア活動に参加する新たな旅のスタイル「ボランティアツーリズム」が注目されていますが、豊岡市にはコウノトリ生息地の保全活動を組み込んだツアーがあります。

ひと味もふた味も違った旅の予感がしませんか。興味のある方はぜひ。

 

町の人はコウノトリのことどう思ってる?
豊岡市在住で、思いがけずコウノトリの“とりこ”になった
主婦お二人に話を聞きました。

ずっと気になる、生活に欠かせない存在

宮村さち子さん(左)古田恵子さん(右)

 

20代で豊岡市に嫁いできた滋賀県出身の古田さんと佐賀県出身の宮村さん。兵庫県立コウノトリの郷公園のパークボランティア(※)養成講座で知り合い、その後の活動で親しくなりました。現在はそれぞれ豊岡市内で観察を続け、有志で組織された「コウノトリ目撃網」というネットワークを通じて情報を共有しています。

 

(※)放鳥したコウノトリの飛翔ルートや行動を市民にモニタリングしてもらう制度。コウノトリの郷公園では平成12年(2000)からパークボランティアの養成を始め、平成17年(2005)の放鳥後から得られたデータをコウノトリの生息環境条件の解明に活用しています。

放鳥したコウノトリと、野外で巣立ちしたコウノトリには足環が付けられており、色の組み合わせで個体を判別できる。見慣れた個体は確認しなくても分かるそう

気になる“あの子”

「あの子って呼んでしまうんだよね」と話すのは、夫婦で観察を続ける宮村さん。放鳥後に自分が担当した鳥は特に「かわいい」のだそう。うなずく古田さんはコウノトリを通じて知り合った20年来の仲間。古田さんもまた、初めて観察した個体に特別の思いがあります。

2002年8月5日に大陸から飛来した、通称“ハチゴロウ”。3年後に放鳥を控えた豊岡市に野生のコウノトリが住みつくという奇跡のような出来事が起こり、古田さんは迷わず観察メンバーに名乗りをあげました。

行動範囲の広いハチゴロウ。週に2回程、分担して観察を続けるうち、自身の感覚でハチゴロウの居場所を探すようになります。

「今日はこの辺りにいるんじゃないかという予測が的中すると本当にうれしくて」。初めて知る観察の楽しさでした。以来どんどんハマっていき、今では「生活の一部」とまで。

観察に行けない日が続くと「落ち着かない」という二人。ちゃんとエサを食べているか、病気になっていないか、まるで我が子のように心配事がつきません。

3人でつくった絵本「ロクイチのとんだ空」。絵は京都在住の作家・さくらいともかさんに依頼。市内の図書館などにも寄贈している

ロクイチのものがたり

2013年、足を骨折したコウノトリが保護されないまま命を落とす事件がありました。個体番号はJ0061、通称ロクイチと呼ばれたこの鳥が日に日に弱っていく姿を古田さんたちは目の当たりにしています。救助されないコウノトリがいる現実に悲しみとやり場のない憤りを覚えました。
古田さんと宮村さんはその現状をたくさんの人に知ってもらおうと、もう一人の仲間と一緒に「コウノトリおっかけたい」と称して絵本製作に取り組みます。何度も推敲を重ね、主人公の女の子を通して人間とコウノトリの関わり方を問いかける内容に仕上げました。タイトルは「ロクイチのとんだ空」。最終的には3人でお金を出し合い赤字覚悟で出版。300冊と少部数ながら2週間足らずで完売し、市民からの反響や手応えもありました。

野生復帰を考える

2021年現在、野外には200羽以上のコウノトリが暮らしていますが、電線や防獣ネットなどでけがをするケースが全国で後を絶ちません。豊岡市では行政とコウノトリの郷公園の職員が連携して救護に当たっていますが、宮村さんは市民としてできることを学ぶ必要があると感じています。ご主人は“もしも”に備え、いつも救援道具を携帯しているそう。

「研究者も市民もいろんな人が関わっている取り組みだからこそ、私たちの目線で考える野生復帰のあり方も知ってほしい」と古田さん。その言葉には、長い間コウノトリを見守り続けて来た自負と使命感があるように感じられました。

 

※コウノトリの写真はすべて古田恵子さん提供

電柱の上で巣作りを始めることも。事故への懸念から撤去される
コウノトリも「ソーシャルディスタンス」…?!

「歴史文化を感じる」スポットの楽しみ方

コウノトリの「自然を満喫する」楽しみ方

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