石垣に注目!
出石の観光ガイドをしている加藤勉さんに出石城跡の見どころを教えてもらいました。
「築城当時のまま残っている石垣に注目してみてください。この時代に発展した算木積(さんぎづみ)という技法が用いられています」と加藤さん。
算木積とは石垣の隅角部の積み方。長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせて積むことで、全体がとても頑丈になるそうです。
当時の最先端の技術が今日まで立派な石垣を支えてきたんですね。
「ノミの跡が残っている石もありますよ」
よく見ると巨大な石に歯型のような跡が……これは石を切る際についたノミの跡だそうです。すべて手作業、途方もない城造り!
本丸のさらに上に……
城の構造は有子山を背後に、上から稲荷郭、本丸、二の丸、三の丸とハシゴを立てかけたような「梯郭式(ていかくしき)」といわれる配置。
稲荷神社は築城時から現在の場所にあったと考えられていますが、城郭内のさらに本丸より上にあるのはとても珍しい構造です。
400年続く「三たん一」の大祭
江戸時代、出石藩は年に一度、初午(はつうま)の日に限り城の大手門を開放して、身分を問わず城内の稲荷神社へ参詣することを認めたと言います。当時の身分制度を考えると城主のふところはかなり深い!
これが現在も続く「初午大祭」の始まり。毎年3月の第3土曜日を中心に3日間にわたって行われ、「三たん一」の大祭(但馬、丹波、丹後の旧3国で最も賑わうという意味)と言われています。
稲荷神社でお守りを買うと引けるハズレなしの「福くじ」は、お祭りの日だけ解禁された博打の名残という説も。
町民に愛され続ける憩いの場
稲荷神社の参道に建つ37基の鳥居と157の石段は、廃城後、明治に入って町民が整備したものです。また、本丸跡にある感応殿(かんのうでん)は、出石藩仙石氏の祖権兵衛秀久公を祀るために旧家臣らが建てたもの。仙石氏といえば、お国替えの際に信州からそば職人を連れてきたと伝わり、出石そばのルーツでもあります。
出石の繁栄を築いた藩主への愛着は深く、城跡は町民の憩いの場として今もなお大切にされています。