四所神社の御由緒と城崎温泉のはじまりとの関わりとは。
温泉の守護神として崇められる湯山主神(ゆやまぬしのかみ)を主祭神に、配祀神として水の守護神とされる宗像三女神である多岐里比売神(たきりひめのかみ)、田記津比売神(たきつひめのかみ)、市杵比売神(いちきひめのかみ)の四柱の神様が祀られる「四所神社」は、日生下権守によって和銅元年(708)に創建されました。創建から9年後の養老元年(717)には、城崎温泉の開祖である道智上人が参拝。神前での参篭中に託宣があり、今のまんだら湯の場所に庵をむすんで一千日の間、八曼陀羅経(はちまんだらきょう)というお経を唱え続けたところ満願し、湧きだした霊湯が城崎温泉のはじまりとされています。以来、道智上人が開いた温泉寺と密接な関係のもと「四所神社」は温泉祖神として崇敬を集め、明治3年(1870)の神仏判然令で温泉寺と別れて村社となり今に至ります。
町民が毎年心待ちにする、「四所神社」の秋祭り。
地元の人たちが「秋祭り」「祭り」と呼ぶ「四所神社」の秋の例大祭は約300年の歴史があり、毎年10月14日(宵宮)・15日(本祭)と2日間をかけて行われます。城崎温泉は関西有数の観光地ですが、土日であろうとこの2日間は休む店や旅館も多く「まちの人が楽しむ祭り」として地元の人が心待ちにしている行事のひとつです。秋祭りに参加するのは町の男たちで、同世代が10~20名程度で集まって「連中」を組み、「四所神社」を中心に「上部(かみぶ)」「中部(なかぶ)」「下部(しもぶ)」の3つの地域に分かれた各部に「連中」単位で所属します。「連中」には年功序列の階級があって祭祀中それぞれの役割を担い、「連中」ごとや階級ごとで衣装が異なります。
秋祭りについての解釈、見どころともにいろいろあるのがこの祭りのおもしろいところですが、多くの人が楽しみにしているのは町中で行われる「セリ」でしょう。四所神社の神輿の他に、秋祭りには上部の山車(みこし太鼓または台)、中下部共同の山車(大檀尻)、そして子どもたちも参加して押すことができる上部と中下部それぞれの山車(小檀尻)が登場し、神輿は本祭だけですがみこし太鼓(台)と大檀尻、小檀尻は宵宮・本祭と2日間にわたって男たちとともに町中を巡ります。外湯を巡る神輿渡御の際、神輿のお供をするのがみこし太鼓(台)、その仲間に入ろうとするのが大檀尻というのが秋祭りのあらすじですが、このみこし太鼓(台)と大檀尻がまちのあちこちで出合ってもみ合うのが「セリ」。特に本祭の日、夕暮れ時から王橋で行われる最後の「セリ」は必見です。下部地域にまで入っていた神輿、神輿にお供して神社へ帰ろうとする「台」、そしてそれを帰らせまいとする「大檀尻」とが、町の中心の一の湯前で繰り広げる三つ巴の競り合いは迫力満点!山車の豪華絢爛な美しさ、太鼓と鐘の独特な響き、男たちの生き生きとした勇壮な姿。2日間の間で見所は他にも数多くあり、町の人でなくとも一度見ると「また来年も見たい!」と、秋祭りの魅力の虜になること間違いありません。
湯巡り途中に立ち寄って見ておきたい境内の見どころいろいろ。
四所神社の旧社殿は、 寛延4年(1751)の建立で総欅造り四間四面の広壮なものであったとされていますが、大正14年(1925)の北但大震災の火災によって一切の社蔵文書、記録とともに焼失されました。現在の社殿は昭和3年(1928)に再建されたもので昭和56年(1981)に大幅な改修を行い、三間社流造の本殿と入母屋造平屋建の拝殿はともに兵庫県の登録有形文化財建造物に指定されています。また、四所神社の拝殿にかかる扁額の文字は宝鏡寺宮理豊内親王の御染筆をもとにしたものであり(原本は温泉寺蔵)、神紋である菊花梅鉢紋は宝鏡寺宮理豊内親王から下賜された由緒正しき紋と言い伝えられています。境内はほどよい広さで、地元の子どもたちが遊ぶ和やかな光景も。また、秋には大きな銀杏の木が見事な黄金色に色づきます。外湯巡りの途中に立ち寄って温泉の恵みに感謝を伝え祈り、ご利益を授かりましょう。