歴史文化を感じる

昭和初期のレトロビルが立ち並ぶ【豊岡復興建築群】

兵庫県豊岡市の中心部、大開通り(JR豊岡駅前通り)を中心に、1920年代のレトロビルが残っています。北近畿最大級の商店街に残る「豊岡復興建築群」に100年前の街に思いを馳せながら、ノスタルジックな街並み散歩はいかがでしょうか。

豊岡稽古堂と市街地のまちなみ

JR豊岡駅を降りると、大開通りを東に向かって伸びる豊岡駅前通商店街。約800mの北近畿最大級の商店街です。

商店街を歩くと、1920年代のレトロなビルを見かけます。駅前通商店街は、南北の歩道にそれぞれアーケードがかかっているので、北側から向かいの南側を、もしくは南側から北側のビルを見ると、昭和初期の建築物を見つけやすいです。特にレトロビルはアーケードの上側に装飾があることが多いので、上の方をキョロキョロと注目してみてください!

 

その中でも一番目立つのが「豊岡稽古堂」
旧豊岡市役所の庁舎として、昭和2年(1927)に2階建てのコンクリート造で建てられました。

その後、3階建てに増築されます。2005年に現在の豊岡市(1市5町が合併)が誕生した際には、曳家で建物を前に出し、その後ろ側に新市庁舎を作り現在に至ります。展示・イベントスペースとして使われ、2階は市議会の会議場に、3階は会議などの市民のスペースとして使われています。

昭和一桁台に建てられたレトロビル

市役所のすぐ向かいには砂色の壁で、窓が大きく外壁の柱が立派な建物があります。「1925ビル」と名付けられたビルは、昭和9年(1934)に、渡邉節の設計で、旧兵庫県農工銀行として建設されました。当時は、現在のアーケードもアスファルトはなく、大通りに面していました。

 

渡邉節は、大阪綿業会館や大阪ビルディング、神戸市の商船三井ビルディング、今はなき京都市の近鉄百貨店などを手がけました。戦前の時代に商業建築を得意とし、アメリカの重厚なデザインが反映されています。同時に当時の伸びゆく日本を象徴していたように感じます。戦後の有名な建築家として名前の良く上がる丹下健三と比較される村野藤吾は、渡邉節の門下生でした。

1925ビルは、合併前の豊岡市役所南庁舎別館としても使われていました。現在はリノベーションされ、ホテル(5室のみ)、ウェディング会場として利用されています。近代化遺産として登録有形文化財にも登録されているので、建築好きな人にはおすすめのホテルです。

100年前の北但大震災とまち

今から約100年前、大正14年(1925)5月23日に、但馬北部を震源とする地震がありました。この北但大震災は昼食時間帯に起きたため、家屋の倒壊はもちろん、火災による被害が大きく木造建築の大半が燃えてしまいました。

荒廃から災害に強い街として復興していくために、公共からの半分補助でコンクリートの建設が募集され、手を挙げた人が残りの費用を出して建てたそうです。そうやって昭和初期の時代、豊岡市街地にコンクリート造の建物が配置されることになりました。

 

これらは、豊岡復興建築群と呼ばれています。

地震のあと、街が復興するために建てられた建築が今も残っている近代化遺産群で、当時建築された建築の約50軒のうち約40軒が現存し、駅前通りの大開通りやカバンストリートのある宵田商店街に点在しています。

このように同じ時期の建築が残っている街は珍しく、静かに街並みの写真を撮っている人も時折見かけます100年前のノスタルジーを感じながら、ゆっくり歩いてみることをおすすめします。

「歴史文化を感じる」スポットの楽しみ方

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