芝居に落語、玉突きに射的、様々な娯楽があった城崎温泉街
いつの時代も温泉地に観光娯楽施設はつきもので、明治の頃に歌われたという「湯島手毬歌」には、当時の様子が描かれています。
四つとえ、夜が昼でも売り歩く ぜんざい餅やうどんそば あがらぬかいな
五つとえ いるも大弓揚弓と お客さん達おなぐさみ なさらんかいな
六つとえ 麦わら細工や栁さじ 瀬戸湯引湯の花を 散らさんかいな
七つとえ なんでもござんすこの湯島 按摩灸師もたくさんに ござんすわいな
九つとえ 買うておくれやお客さん おでんのでんがくを あがらんかいな
十とえ とうから病気の有る人は、湯島によんで湯に入らせ なおそうかいな
大弓場・揚弓場とは幕末から明治初期にかけて多くみられた楊弓の「遊技場」のこと。揚栁で作られた遊技用の小弓で的を当て、的中すれば景品がもらえるという仕組みで、温泉寺の薬師堂境内や四所神社前にありました。また、大正時代に発行された『城崎温泉案内記』によると、城崎温泉には玉突きや大弓などで遊ぶ「遊技場」の他に劇場や寄席もあり、演劇・講談・浄瑠璃・浪花節・芸妓の舞踊などの娯楽を楽しめる、と書かかれています。射的やスマートボール、パチンコができる現在の形の「遊技場」は昭和30年頃からできはじめ、昭和50年度の「兵庫県遊技業組合名簿」を見ると、パチンコのみの店も含む「遊技場」に登録された豊岡市の店は、出石に1軒、旧豊岡市に5軒であるのに対して、城崎温泉には22軒とダントツの多さだったことがわかります。湯治客のレジャーのひとつとして「遊技場」はどこも大賑わいだったそうですが、今は湯の里通りに並ぶ3軒のみになりました。
人形を撃ち落とし点数を貯めて景品に
城崎温泉の射的の特徴は、景品を狙うのではなく人形を撃つところです。人形は陶器製。もう生産する製陶所がないそうで、打ち落とされて折れてしまったり被弾箇所が剥げてしまったりしているものを修繕しながら大切に使い、廃業された「遊技場」から譲り受けたこともあるのだそう。手動の銃にコルクの弾を込めて人形を撃ち、倒れた数を数えておもちゃなどの景品に交換します。
昔は観光客だけでなく津居山漁港の漁師が漁終わりに温泉街に飲みに来ては「遊技場」へ立ち寄り、半年から一年かけて貯めた点数で翌年の干支人形に交換して、それを馴染みの芸妓にプレゼントしていた……なんてエピソードも残っています。昭和29年(1954)に創業した「谷口屋遊技場」では、その頃の景品だった干支人形が今も店内に残されています。ちなみに今でも2回、3回と滞在中に毎晩訪れて点数を貯め、狙った商品に交換して帰る連泊客もいるそうです。
古き良き温泉地の風情を支える「遊技場」
かつて20軒以上あった「遊技場」も、今では「谷口屋遊技場」「センター遊技場」「旭遊技場」の3軒になりました。まるで昭和のまま時が止まったようなレトロな雰囲気の店内を通りからのぞきこんでは、外湯巡り中の宿泊客がひと組、またひと組と入っていきます。多いときは店前に行列ができることも。駅が「玄関」、道は「廊下」、外湯が「大浴場」、それぞれの旅館は「客室」、土産物屋は「売店」、「まち全体がひとつの旅館」として町づくりを行ってきた城崎温泉にとって「遊技場」はなくてはならない大切な遊びの場なのです。射的は1回500円で12個の弾を撃つことができ、店によってはスマートボールや手打ちのパチンコ台で遊べます。外湯巡りの途中に立ち寄り、射的やスマートボールで童心にかえってはしゃぐのも城崎温泉ならではのお楽しみです。20時頃に開店し22時頃までと営業時間が短いので、来店時にはご注意を。