豊岡杞柳細工とは
豊岡杞柳細工はコリヤナギや籐、麻糸を使って制作される木工品で、国の伝統工芸品(経済産業大臣の指定を受けた工芸品。2021年1月時点で全国236品目)です。
一昔前までは、どの家庭でも洋服や本の収納(永尺行李・文庫行李など)、また弁当箱(飯行李など)として、柳行李が活用されていました。
柳行李の歴史
柳行李は「豊岡かばん」の原点であり、「豊岡杞柳細工」の代名詞である、日本の伝統工芸品です。
その伝統の技術技法が素晴しく繊細であることは、1200年以上の歴史に確かに裏付けられていると言えます。
奈良時代に作られた「但馬国産柳箱」は東大寺・正倉院に実在しており、この御物が上記の全てを物語っています(この頃は文箱、衣装入れ、小物入れとしてごく一部の上層階級の人だけが使用)。
室町時代の応仁記(軍記)には、柳行李が商品として盛んに売買されていた記述が残されています。
江戸時代、豊岡藩の奨励によって「豊岡の柳行李」の名は日本全土へ。
城下町・豊岡の一大産業と成り、大名の参勤交代、商人の商い、庶民のお伊勢参りなどの際に旅行道具入れとして使用され、大名から町民まで広く使われるようになりました。
当時は行李の種類も様々で、目的に応じたものが作られるように。
- 武士
・鎧櫃(よろいびつ):鎧を入れておくための蓋つきの箱
・陣笠(じんがさ):下級の兵士が戦場でかぶとの代わりにかぶった笠 - 商人/一般人
・小間物行李(こまものこうり):小間物屋 – 婦人の装飾品、日用品などを荷に背負って売り歩く行商
・薬屋行李(くすりやこうり):薬屋 – 越中富山の薬売り
・帖行李(ちょうこうり):商人らが算盤・帳簿を持ち運ぶためのもの
その他、裃行李や長尺行李などが普及しました。
明治時代に移り、これまでの行李に牛革の取手と装飾を施した「行李鞄」が明治33年(1900年)パリ万博にて世界の人々を魅了。
大正時代になり、杞柳細工の産業は、海外への輸出が行われるまでに発展しました。戦時中は主に軍用行李や飯行李が作られ、軍人達の飢えを凌いだという話も。
昭和初期には杞柳産業に携わる職人が1万人程存在していたと言われていますが、ファイバーや合成皮革といった素材の開発・普及により柳行李の需要は徐々に衰退していきました。
平成、令和と歳月は流れ、現在その伝統の技術技法を継ぐ柳行李の職人は「たくみ工芸」を屋号に持つ伝統工芸士・寺内 卓己ただ一人となっています。
柳行李の制作過程:原材料の準備
1.コリヤナギの栽培(摘芽、除草等)
材料となるコリヤナギは自然条件に対する順応性が高く、1年で1~3メートルほど伸びます。また挿し木によって増やすことができ、2~3年で1株から数十本に分木します。
2.柳狩り(12月初旬)
毎年、本格的な冬が来る前に刈り取ります。
3.冬越
刈り取った柳は束ねて、水を張った円形の溝に立て、そこで冬を越します。
4.仮刺し(3月初旬)
皮を剥ぎやすくするために、1本1本仮差しをして芽を出させます。
5.皮剥き(5月初旬)
芽が出たら地面から抜き、根の部分の泥を洗い流し、金子箸(かねこばし)という2本の又になった鉄棒に通して、1本1本皮を剥いでいきます。
6.乾燥(数日間)
剥ぎ終えると、水洗いをして天日で乾燥させます。ここでようやく白く輝く、柳行李の材料の「白柳(しろ)」が出来上がります。
柳行李の制作過程:柳行李の制作
永尺行李の場合
1.原材料選別
まとめて束にした状態で管理してある白柳から、これから作る行李の種類に合った柳を選別していきます。
2.水漬
柳の太さや、天候を鑑みて、編み始める前の数時間程水に漬けておきます。
3.弓引
よった麻糸を2本、竹で作った弓にかけ弓糸を作ります。
4.差し
弓糸をさん木(さんぎ)に固定し、行李台の中央に置き、弓糸に柳を交互に差し込んでいきます。
5.折本(寸法出し)
差し終えると、幅の寸法を確認し90度回転させ位置を変えます。差しが崩れないよう3段ほど編んだところで、どこまで編むかを折本。
6.編み
抑え木の上に乗り、柳の目が1本1本交互になるように指で柳を上下に分け、麻糸を通して編みます。麻糸の張り具合や柳の個性を見極めながら行うことが重要!
7.肩切り
半分編み終えると、肩切りを行い、縁(へり)を出します。180度回転させ残りの半分を編み、さらに肩切りを施してから山の部分を編み上げ、編みの作業が終了。
8.山起こし(たくみ工芸では木型を使う)
編み上がった生地は木槌で叩いて折り曲げ、木型に固定し乾燥させ、側面を作ります。
※たくみ工芸では木型を使います。
9.縫い止め
角を麻糸で縫い、形を整えます。
10.仕上げ
形を整えるため、「くいあげ」と呼ばれる道具を使用。その他にもへりの中央部分を糸で固定したり、角上部に太めの柳の落ちを挿し形が崩れないように仕上げます。
11.縁掛け
形が整った行李に、縁竹を入れ、さらにその縁竹を皮籐で巻いていく作業。ひと昔前までは「編み上げ」(上記1~10、下記12の作業) と 「縁掛け」(本作業)の工程ははそれぞれに特化した別々の職人が行っていました。
12.燻し
湿らせた行李を室に入れ、硫黄で数時間燻します。この作業によりコリヤナギの持つ防虫・防湿効果をより高め、また漂白の効果も兼ねています。
「柳行李・豊岡杞柳細工」伝統工芸士 寺内卓己
昭和31年生まれ
昭和53年 柳篭籐篭製造業の家業入門
昭和60年 独立(たくみ工芸)
平成6年 伝統工芸士(豊岡杞柳細工)認定
平成23年度 伝統的工芸品産業大賞受賞
平成5年 近畿経済産業局長賞、功労賞、兵庫県技能顕功賞を受賞
柳行李の魅力・伝統継承への思い 加藤かなる (寺内卓己 弟子)
大阪府出身 26歳(取材当時)
日本の伝統文化・伝統工芸は、世界に誇れる歴史であり、多種多様なそれらには日本人の確かな理念が表現されています。
そこには日本人らしい感性と価値観が深く刻まれていて、この令和の時代においても尚、機械化される事の不可能なその技術技法の存在は、ヒトに感銘さえ与えます。
そして僕もそれらに感銘を受けた一人です。
御縁があり繋がった但馬・豊岡という土地。師とこの仕事。
“柳行李”というモノの、歴史と伝統の深み。美しさ。脆さ。そして可能性。僕はそれらに魅力を感じています。
町内の人間や、関係者各位、訪れるお客さんらから、それぞれの思いの種が僕に撒かれる時、柳行李の伝統を途絶えさせないという点には大義があるのだと受けて取ることができます。
たくみ工芸での仕事に携わっていて、1200年以上の時を経ても尚、需要のある点に僕は大いに価値を感じていて、伝統の継承を日々受ける中で、純粋に壁にぶつかり、それを一つ一つ乗り越えていく現状には真にやりがいを見出しています。向き合うからこそ生まれる自覚、見える可能性、まだ見えない景色があります。
僕はこの先で、柳行李の価値を社会に再定義したい。例えば伝統工芸の世界の末端にいる僕が、柳行李における伝統の技術技法の全てを継承したとして、更なる発展を施すため奮迅奮闘するような未来がくれば、それは僕の生きがいになり得るかもしれない。兎に角、何気ない日々が着々と面白くなっていくような、そんな思いの一途です。