歴史文化を感じる

町の中心にそびえる明治生まれの時計台【辰鼓楼】

出石の代名詞とも言える「辰鼓楼(しんころう)」。町では際立って高い建物で約13メートルあります。

明治4年(1871)に建てられ、当初は太鼓を打って時を知らせていたことからその名が付けられました。辰(たつ)は時間を意味し、午前7〜9時を指します。その後、地元の医師が大時計を寄贈したことから時計台になり、長年出石のシンボルとして愛されています。

出石っ子風に言うなら「まずは辰鼓楼、見て行きんちゃあ!(見て行ってね)」

日本最古……じゃなかった!

札幌市時計台と並んで日本最古の時計台として紹介されてきた辰鼓楼。

最近になって明治14年(1881)9月8日から動き出したことが判明しました。かつて同じ敷地内にあった弘道小学校の古い日誌にその日付がはっきり書かれていたそうです。

8月12日に稼働した札幌市時計台の27日後。コロナ禍の町を盛り上げたいという一心で、日本最古だろうとほぼ確信しながら調査を始めた蕎麦屋の店主は「やってしまった……」と震えたそうですが(笑)、辰鼓楼創建150周年の節目に明らかにされた新事実を町の人たちは堂々と発表しました。

「辰鼓楼は日本で2番目に古い時計台でした」

この成り行きが話題になり、テレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」でも取り上げられました!

直径 1.9mの大時計

ルーツは廃城となった出石城

有子山をバックに威風堂々とそびえる辰鼓楼は、明治政府による廃藩置県を前に出石藩と地元有志によって建造されました。

元々出石城の大手門があった場所で、やぐら台の石垣部分をそのまま基礎として利用。木造4層建ての内部には城の廃材も活用されています。

ちなみに、辰鼓楼が時計台として稼働した9月8日は「いずし時の記念日」に制定され、この日は普段入れない辰鼓楼内部を一般公開しています。機会があればぜひ最上階から町の景色を見渡してみてくださいね。

内部は出石城の古材が利用されている
特別な日に限り辰鼓楼の内部が見学できる

時計を寄贈した町の医師

辰鼓楼が時計台になったきっかけは、地元の医師だった池口忠恕(ちゅうじょ)が明治14年(1881)に大時計を寄贈したことでした。

大病を患い、町の人から多くの見舞いを受けた池口は、 そのお礼にと私費で機械式の大時計を寄贈したといいます。貧しい患者も分け隔てなく診察し、多くの人に尊敬される人物でした。

寄贈にあたって、池口は東京に青年2人を派遣して時計作りの技術を学ばせたといいます。(派遣先は長崎という説もあります)

現在は電波式の4代目。実は直径1.9メートルもある大時計です。

代替え2 辰鼓楼の上の獅子瓦

屋根の上には……

長年出石の観光ガイドを務める加藤勉さんに聞いた辰鼓楼のちょっと意外なポイント。

まずはそのフォルムに注目。ちょうど角の位置から見上げると美しい木の反りがよく分かり、遠くから全体を見るのとはまた違った印象が味わえます。

そして、中々注目しにくい屋根の上。実はてっぺんに獅子瓦が設置されています。

出石の人々に長く親しまれている辰鼓楼。魔除けの意味を持つ獅子が町を見守っているんですね。

かつての辰鼓楼にちなんで、午前8時と午後1時には太鼓の音、午後5時には梵鐘が鳴るので、ぜひ耳を傾けてみてください。

観光ガイドの加藤さん

出石観光ガイドの加藤勉さん

辰鼓楼の歴史を伺ったガイドの加藤さん。

「私たち出石おしゃべりガイドが、江戸時代の面影を色濃く残した情緒豊かな城下町、出石町をまちの達人が一緒に歩きながらご案内します。」

出石の歴史やおすすめスポットを聞きながら町歩きを楽しめますよ♪

○出石おしゃべりガイド
お問合せ・申込:出石まちづくり公社 0796-52-6045

「歴史文化を感じる」スポットの楽しみ方

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