子宝に恵まれる?
コウノトリは幸せを運ぶ鳥として、古くから繁栄をもたらし子宝を授かる幸運の鳥として親しまれてきました。「久々比神社」は、そのコウノトリの伝説が残る唯一の神社でもあります。
全国から子宝を願い参拝される方が後を絶ちません。拝殿にはコウノトリがあしらわれた絵馬がところ狭しと掛かっています。また子宝に恵まれた方の「お礼詣り」も多々あるとのこと。
子宝エピソードの一つに、2005年9月のコウノトリ試験放鳥に参加された秋篠宮同妃両殿下に「久々比神社の御守」が授けられ、その後第3子(悠仁親王)をご懐妊、ご出産されたことがあります。
放鳥式典が行われた「コウノトリの郷公園」とこの「久々比神社」は、このことから更に注目を集めることとなりました。
コウノトリ伝説と神社の由緒
「日本書紀」に残る記述によれば、垂仁天皇(すいにんてんのう)が息子の誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)とともに宮殿の前に立たれた時、空に鵠(くぐひ、白鳥・コウノトリの古称)が飛んでいるのを見て、皇子が「これは何という名の鳥だ」と言葉を発せられたそうです。皇子は成人しても言葉を話すことができなかったため、この言葉を聞き天皇は大変喜び「誰かあの鳥を捕まえて献上せよ」と指示されました。天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「私が必ず捕らえて献上します」と申し出て、出雲で捕え(または但馬で捕え)献上したといわれています。
このことからコウノトリは霊鳥として大切にされ、コウノトリが棲んでいる地を「久々比(くくひ)」と呼び、社を建て木の神「久々遅命(くくのちのみこと)」をお祀りしたことが、久々比神社の始まりとされています。
豊岡市とコウノトリ
かつて日本全国の空を舞っていたコウノトリは吉兆を表す鳥であり、田植え後の苗を踏み荒らす害鳥でもありました。そのため乱獲により徐々に姿を消し、木々の伐採、農薬散布などの環境破壊によって日本の空からコウノトリは姿を消しました。
野生のコウノトリの最後の生息地:豊岡市ではコウノトリを野生復帰させる取り組みを続け、2005年に野生復帰の第一歩となる試験放鳥をスタートし、2022年現在、野外には300を超えるコウノトリが大空を舞っています。
久々比神社の建物 豆知識
一番奥に鎮座する本殿は、国の重要文化財に指定されています。室町時代の永正4年(1507年)の建立で、屋根は杮葺き(こけらぶき ※1)入母屋造(いりもやづくり)、建築様式は三間社流造(さんげんしゃながれづくり ※2)です。江戸時代 元禄15年(1702)に解体移築を行い、遷宮されました。
特に本殿の斗栱(ときょう ※3)は三手先の構造をもち、蟇股(かえるまた ※4)は透かし彫りの秀麗な拵えとなっています。
※1 杮葺き:2、3mmの薄い板を重ねて屋根材にすること
※2 建物の桁(屋根等を支える水平の部材)の柱の間が1間(柱が2本の場合)は一間社流造、3間(柱が4本)は三間社流造という
※3 斗栱:柱の最上部や軸部の上に設置され、軒桁を支える。固定には釘、接着剤は使用せず、木材の部品を立体的に複雑に組合せ、強固に組み上げる。
※4 蟇股:桁に設置し、加重4を分散して支えるため、下側が広い部材で、シルエットがカエルの股のようにみえることが名前の由来。装飾材としても建築年代の判定基準となる。