但馬五社とは?
但馬五社は但馬国(兵庫県北部)にある由緒ある神社のうち、出石神社を中心として三里(約12km)の間にある五社:粟鹿神社、養父神社、出石神社、小田井縣神社、絹巻神社の総称です。この五社を巡り神様に心から願うと、願ったとおりに願いが叶うと言われています。
絹巻神社の宮司の花光さんに尋ねたところ「どのように巡るのが良いのか、昔はあったかもしれないが定かではない。家からの近さ、自らの感覚で参拝してもらったら良い」とのこと。趣の異なる五社をぜひ巡ってみてください。
不思議に配置された鳥居
絹巻神社の鳥居は、ちょっと不思議な配置になっています。「絹巻神社は、公共工事の度に移築を繰り返して原形と大きく変わっている」と花光宮司。
絹巻神社は初代の港大橋(1954年完成)ができるまで、対岸の城崎温泉から参拝するには渡船を利用するしかありませんでした。その橋は完成から5年後に伊勢湾台風で流され、現在の港大橋が完成した1974年まで再び渡船が復活しました。海や川からの参拝者を迎えるため、絹巻神社の参道は日本海に向かって北向きにあり、現在も神社の北側に存在する「一の鳥居」は渡船当時の名残となっています。この港大橋、平成17年(2005)の港歩道橋の建設に伴い、県道が境内を横切り、その道路のセンターライン辺りにあった昔の「二の鳥居」は神社の西側に移築されています。社務所、手水舎、灯籠なども移築されました。
地域住民の安全を守り、移動を便利にするための「港大橋」「港歩道橋」の架設にあたり、絹巻神社は大きく模様替えをすることになりました。そのような経緯で鳥居は不思議な配置になっていますが、渡船当時の神社を思い浮かべ、一の鳥居から順番に社殿に向かい参拝してみてください。
海を守り、地域に愛される神社
絹巻神社はもともと地縁・血縁に由来する氏神神社ではなく、個人の特別な信仰等により崇敬される崇敬神社です。絹と名がつく通り、養蚕業を営む方が多く参拝され、陸続きで近隣の京都府北部からの奉納者も多かったそうです。時代とともに崇敬者だけでは成り立たなくなり、地域住民が氏子としてお祭りの手伝い等も行うようになりました。前述のとおり、地域住民の暮らしを豊かにする一助となっていること、北向きの本殿は海を守るためとも言われ、漁業を生業にしている地域の方々もご祭神の海童神(あまのわらしのかみ)、船魂神(ふなだまのかみ)を信仰しており、地域になくてはならない神社として今日まで愛されています。
御利益:五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全、開運厄除け、諸病平癒、学業成就、交通安全、海上安全、大漁祈願など。
地域の人々に愛され、親しまれる「絹巻さん」
市内の人から寄せられた絹巻神社に関するエピソードです。
幼いころは、お祭りと相撲、年越しの夜中に詣るのが楽しみだった「絹巻さん」。毎年4月28日には、地域の安寧と豊作、豊漁、氏子の健康を祈願して春季大祭式が行われます。この大祭では、こどもたちによる奉納相撲が行われ、地域の小中学生の熱戦に地域住民や観光客からも声援が送られました。
元日は但馬五社巡りで参拝するのが家族の恒例行事。また、お宮詣り、七五三の節句など、節目にこの神社を訪れます。宮司さんは、いつも優しく声を掛けてくれます。これからも「絹巻さん」とともに。(豊岡市3児の母)