
アーティストと街の人々が共に作り出す
日常空間でアートを味わう幸せな体験
毎年、全国から多くの人が訪れる「豊岡演劇祭」。海外や日本各地からアーティストが集い、その数はおよそ80団体を数える。
令和2年(2020)の初開催以降、毎年規模が大きくなり、最近では2週間の会期で3万人以上が訪れるまでに成長した。
このイベントの特徴は、観光やまちづくりも念頭に置いて考えられた、回遊型の演劇祭であること。会期中は、劇場のほかに、街のさまざまな場所に現れるステージで、演劇やダンスをはじめとする多様な表現が楽しめる。「広場や映画館、神社の農村舞台のほか、温泉街や海岸、野球場まで。最近では信用金庫の店舗でも公演が行われるんです。この地域に大学ができ、そこで学んだ卒業生が地元の信用金庫に就職し、演劇部がうまれたのが始まりでした」。
そう語るのは、豊岡演劇祭でプロデューサーを担う加藤奈紬(かとうなつみ)さん。地域おこし協力隊への参加をきっかけに、豊岡に移住。任期終了後も豊岡に残り、第1回からすべての豊岡演劇祭にスタッフとして関わってきた。現在は会期中に限らず、年間を通してイベントの全体を管理する役割を担っている。
「大きなコンセプトは、第1回から変わっていません。演劇ファンにとって他にはない魅力的な場所を目指すことはもちろん、このイベントを地域の人々と一緒に作っていくことを大切にしているんです」。
市民の皆さんは、演劇祭を観覧者として楽しむことはもちろん、一緒に盛り上げるボランティアサポーターとしても活躍している。「市内にある、芸術文化観光専門職大学の学生の皆さんにも関わっていただいています。舞台のプロが来て、一緒に働ける。出演者としてステージに上がることもあります。実践の場で、学びながら演劇祭に関わってもらうことは、彼らのキャリアにもつながるのではないでしょうか」と加藤さん。
目指すのは、老若男女誰もがさまざまに関わりあい、誰もが楽しむことができる幸せな演劇祭。回を重ねるごとに、内容も体制も充実を見せているが、それでも毎回、準備段階で誰もが楽しめるイベントになっているか、目を配り続けているという。「ある話し合いの時には『聴覚障害のある方も安心して参加できて、舞台の魅力を共有できる形を考えたい』という議題が上がりました。そこで当事者団体と協働し、舞台手話付きの公演を企画。耳が聞こえない人、聞こえにくい人も物語の世界に入り込み、演劇を楽しめる舞台を目指しました。
回数を重ねる中で、前回よりも今回、今回より来年と、誰にとっても自分らしく関われる演劇祭に育ち、歩んでいければと思っています」。
演劇祭一色となる2週間を終えても、豊岡にはアートが紡ぐ関係性が息づいているという。「城崎温泉にある、『城崎国際アートセンター』では、年間を通して世界
各国のアーティストが訪れ、市民と交流するアーティスト・イン・レジデンスの事業が行われています。いくつかの市民劇団も誕生しました。演劇祭で知り合った演出家を招いてサポートをお願いするなど、積極的に活動しているようです。演劇祭が、人々の日常の風景を変えるきっかけになっているとしたら、それほど嬉しいことはありませんね」。加藤さんは、演劇祭がこの街に与えてきたものが確かにあるという実感を持って語ってくれた。
日常を潤す、アートを通した有形無形のさまざまなつながり。これも人の豊かな結びつきが生み出す、豊岡ならではといえる幸せの形なのだろう。
毎年9月に開催される豊岡演劇祭。ここでしか感じることができない沸き立つような熱気を、ぜひ多くの人に肌で感じてほしい。

加藤奈紬さん
地域おこし協力隊の隊員として豊岡へ移住。豊岡演劇祭には1回目からスタッフとして関わり、現在はプロデューサーとして演劇祭全体を見渡す役割を担う。
豊岡演劇祭フェスティバルセンター | 兵庫県豊岡市大手町1-29