金山にあったお寺がはじまり
隆国寺(りゅうこくじ)は、室町時代に創建されました。山名の四天王と言われた武将がいて、その筆頭といわれた垣屋播磨守(かきやはりまのかみ)隆国(たかくに)の菩提寺として建てられたのが始まりです。
もともとは、阿瀬渓谷にある金谷(かなや)という部落の奥には金山があり、村岡に越える街道になっていました。この部落には当時、千軒もの家があったと伝わっています。そこにあった数件のお寺の一つが隆国寺です。
また、道場村(どうじょう)という地区には、山の上に垣屋の居城である楽々前(ささのくま)城という城があり、その門前にも隆国寺の前身となる寺がありました。この寺と金山の寺をまとめて、日高町荒川へと移ってきました。そうして江戸時代の初め(1623年)に、改めて建てられたのが今の隆国寺です。
三丹随一(但馬・丹後・丹波)と称される山門は、享和2年(1802)に再建されました。
「吾はほとけにならずとも」
隆国寺のご本尊は、聖観世音菩薩です。本堂須弥壇中央に祀られています。仏は『如来』といいますが、観音さまは『菩薩』といいます。菩薩とは『仏になるために修行をする人』のことです。
「この世の人々が救われるまで仏にならない、自分は最後でよい」と私たちと同じところにあって、私たちを救ってくださるのが菩薩の生き方です。観音さまに静かに手を合わせることで、我もまた『利他の心』で歩んでいこうと、心にすがすがしい風が吹くような心持ちになります。私たちがどこにいようとも、感謝して清い心でいることで、観音さまはいつでも優しく見守り、救ってくださいます。
内面の美しさをあらわす牡丹
隆国寺は昔から『但馬ぼたんでら』と呼ばれています。4月の終わりから5月にかけて、寺の境内いっぱいに、美しい花を咲かせます。
牡丹は、秋には葉が落ち、また春に芽吹いて、花が咲きます。
なぜ、この牡丹を植えることになったのか、それにはこんな言い伝えがあります。
江戸時代後期(1840年頃)、お寺が田んぼや畑を所有し、お米を蔵に蓄えていました。大飢饉の際に、この米を分け与えて、人々の飢えを救いました。
助けられたお礼にと、人々が隆国寺に庭を造り、そこに植えたのが牡丹でした。
昔から、日本女性の美しさのことを『立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹』と言いますが、この「座れば牡丹」というのは、内面的な美しさを表しています。心の豊かさの象徴である牡丹。皆が飢え、心も荒んでしまっている時代に、心の豊かさを取り戻してもらうために、植えられたものがはじまりです。
牡丹の花盛りの頃は、田植えで忙しい時期ですが、人々はひと仕事終えたあとに、美しい牡丹を眺めることで癒され、忙しさで自分を忘れてしまっていることに気づき、本来の心の豊かさを思い出すことができました。
知るとより楽しいお花の話
牡丹が咲き誇るぼたん苑、 初春のつばきをはじめ、四季の花々が本堂の周りをぐるりと荘厳しています。
GW頃に見頃を迎える牡丹のほか、5月下旬から6月には山紫陽花(やまあじさい)や沙羅(さら)、山法師(やまぼうし)が咲きます。その他にも様々な花々や木々が楽しませてくれます。
花の時期が終わっても、隆国寺の境内は情緒豊かです。
順路に沿って、ゆっくりと境内を歩いていくと、苔の美しさ、面白い木々の形にも目が行きます。可愛いらしいお地蔵さまにも出会って、思わず顔がほころびます。
県指定文化財の襖絵
本堂内には、兵庫県指定の文化財、おもてうら三十六面の襖絵があります。
弘化3年(1846)に岸派(ガンパ)の中心人物、岸岱・岸徳(連山)の二人の手によって描かれました。おおらかな表情の虎渓三笑図、迫力の猛虎図、精緻な孔雀図など見事な作品です。いつでも見られるようになっていますが、古いので状態が限界にきており修復を検討中。
とのこと。修復するとなるとしばらくは見られなくなるため、現在の襖絵を見られるのは、今のうち。(2023年11月取材)。
ご住職に、より隆国寺を堪能できるスポットを聞いてみました。
トイレにかみさま?
散歩のあとには、トイレにもお立ち寄りください。
そこには烏枢沙摩(うすさま)明王様がいらっしゃいます。トイレにお祀りする仏様です。
禅宗は修行の道場であり、心を磨く修行をします。つまり掃除が仕事。「トイレ掃除も最初は抵抗があるが、すぐに心は開き直り、ただただ『綺麗に』という思いだけになる」とご住職。
また「トイレは命について考える場所でもある」。
「うんちやおしっこは自分のお腹から出てきますよね。その前は食べたご飯だった。そのご飯ができるまでは、お米やお野菜を育てた人、ご飯を作った人、色々な人の手が加わっている。手を加える、ということは、時間が費やされるということ。人だけでなく、時間も命。そして大自然の命。それに関わったすべての命が注ぎ込まれ、成り立っているのが『ごはん』です。食事をする時に、『いいただきます』と言いますが、それは自分と仏様が一つになって、生かされていることに感謝すること。そうして、自分を生かすために一所懸命働いて、役目を終えて排泄されるものがうんち・おしっこなのですよ。」と。
生き方を教え、幸せへと導いてくれる観音さま
豊岡でコウノトリが放鳥された頃、お寺の庫裏(くり)の建て替え中に、たまたま本堂の襖絵を眺めていたご住職。そこには数羽の鶴が描かれています。その中に2羽、他の鶴とは違う鳥を見つけました。その2羽の鳥は目のあたりが赤くて、羽根の先が黒い。「これはコウノトリに違いない!」と胸が高鳴りました。
ご縁を感じ、思いを馳せるうち、しだいにコウノトリはまるで観音様のようだ、と感じられるようになりました。それというのも、日本で一度は絶滅したコウノトリは見事に復活し、人々に生き方を教えてくれたからです。コウノトリを見ると幸せな気持ちになります。観音さまは様々な姿で現れ、自らが犠牲になってでも他を生かしてくれます。コウノトリも人々に正しい生き方を教え、幸せへと導いてくれる、それはまるで観音さまではないかと。
そうして隆国寺に、幸のとり観音さまとしてお迎えすることとなりました。
子宝と幸せを運んでくれる観音さまとしてお祀りしています。
ご住職のお話を聞きたい!という方は、グループを作って事前に連絡を。本堂でお話を伺えます。